動物との出会い

私が最初に犬と出会ったのは、4歳になったかならないかのこと。父が子犬を貰ってきたとき。

 

当時は、戦争が終わったばかりで、隣近所の誰もが食べていくだけでも大変な時代だった。
そんな時に、父がなぜ犬を連れてきたのか、私には分からなかった。

 

しかし、その子犬は、病気で寝ている祖父に鳴き声がうるさいと言われて、来てまもなくいなくなってしまった。
私が記憶に残っているのは、夕方父が自転車の篭にその子犬を乗せて行ってしまったこと。

 

それは秋田犬で、父の友人にもらわれ、長じてリヤカーを引いたりした働き者になったのだと聞いた。

こうして、私にとって、人生最初の犬は、あっという間に私の前にやってきてあっという間に去ってしまった。
動物との親しいコンタクトは、その後、私が東京の大学を卒業して仙台に戻り、地方テレビのアナウンサーになるまでなかった。

 

アナウンサー時代に、二本松というところにあるウエスタン乗馬クラブで馬に出会う。
正直言って、仙台から二本松までは当時はかなり遠い距離。
なぜ乗馬をしたいと思ったのかあまり良く覚えていないのだ。

 

アナウンサーとしての仕事は順調にいっていたものの、失恋ばかりしていてあまり幸せな日々ではなかったから何かしたいと思ったのかもしれない。
インターネットも無い時代になぜそこを探し出したのかも覚えていない。

 

 

しかし、馬と二人で、林の中を逍遥する時、私の孤独な気持ちが幸せな気持ちになっていったことは鮮明に覚えている。

 

その後、私はアナウンサーを辞め、東京に出てコピーライターの勉強をして、27歳の時にまた仙台に戻り、広告制作会社を開いた。

 

結ばれていく縁

70歳近くなると、わかってくる。人生は本当に不思議な縁でつながっていることが…。

 

私は、当時は珍しい?未婚の母となりアルゼンチンに渡っているのだが、その時産んだ娘の父親とは、私が仙台でオーガナイズしたWWFA(世界野生動物基金;ワールドワイルドライフファウンデーション)のイベントで出会っている。

 

40年近く前のことで、WWFがまだ日本では知られていなかったころ。
著名な初代上野動物園長である古賀忠道氏を呼んで実施したのだった。

 

実際の動物とは関わりを持たなかったが、それは、後に私がまた動物や動物の保護運動と関わるきっかけともなった。

 

動物との再会

私は、アルゼンチンに渡り、その後、娘と一緒にオーストラリアに移住して、未知の国でシングルマザーとして必死に生きてきて、動物と関わることはすぐにはなかった。

 

ところが、オーストラリアで起業して数年して、また、動物と関わることになる。
それは、オーストラリアに英語の勉強をしながら馬のことを学びにくる学校をオープンしたからだった。

 

日本にはなかった英語の勉強をしながら馬をハンドリングできる専門家を育てる職業訓練学校として始めた学校だったが、ここには引きこもりだった若者たちも来て、彼らが、馬の力を借りて立派なホースマンとなり、動物の力がいかに大きいかを、ここで私も学んだ。

 

馬の世界には、Happy horses, happy peopleという言葉がある。ハッピーな馬を作りたいと思ったら、ハンドリングする人たち自身が幸せな人たちでなければいけないという言葉だ。

 

 

「犬が家族をつくる」

動物の力の大きさは、尋常ではない。馬、犬、動物たちはエンジェルである。彼らの力はここで簡単に言えないほど大きなものだ。

 

私が作った馬の学校は全部で3つ。成功したために嫉妬をされ妨害されたことも多々あった。

 

私が心を込めて作った2つ目の学校のオーナーから騙されて金銭をだまし取られ絶望の淵にいた時…私の傍には、うちにやってきた最初の犬、ジャックラッセルのカーリーがいた。
カーリーは、主人の誕生日に私たちの家にやってきた。

 

親に反抗して、家出していた長女が家にもどり、ぎくしゃくしていた我が家にカーリーがやってきた。子犬だったカーリーを見て、家族4人が一緒に笑った。

 

家族が一緒に、こんなに和やかに笑ったのは一体何年ぶりのことだっただろう。

 

主人が呟いた。Dogs make family 犬がいないと家族って言わないんだ、犬がいてこそ家族ができるんだって…。

 

そして、そのカーリーは、騙されて心が砕けている私の傍にぴったり寄り添い、心の中で私に話しかけてくれた。「お母さん、僕がいるだろう。泣かないでくれ。お母さんは大丈夫。必ず立ち直る」。

 

それから、すぐに、私は、カーリーの言うように立ち直った。騙されてなくなったお金はいつかまた入る。それより、私には私を愛してくれる家族がいる。そして、カーリーがいる。

 

3つ目の新しい馬の学校に携わりながら私は、私に生きる力を貸してくれた犬たちのために何かしたいと思っていた。
そして、後年、ワールドアニマルアカデミーという学校を立ち上げたのだった。

 

また日本の獣医クリニックの廊下で、一年もただ寝かされているだけの四肢の動かなくなったラブラドール犬を見て、私は、小動物のリハビリテーションのセミナーも立ち上げた。
大動物である馬はリハビリが進んでいたが、その頃の日本には小動物のリハビリがあまり知られていなかったからだった。

 

そして、日本からそのセミナーに来てくれた多くの獣医師、獣医看護師、トレーナーの方々と今でも親しくお付き合いをさせていただいているのも、犬たちがつないでくれた幸せな縁である。

 

スティーブ・オースティンとの出会い

犬たちがつないでくれた縁と言えば、オーストラリアでも犬の専門家たちとの縁ができた。

 

とりわけ、オーストラリア、あるいは、世界でもトップクラスのアニマルトレーナー、スティーブ・オースティンとは、かれこれ15年の長いお付き合いをしている。

 

彼は、我々人間は犬たちの能力の10%しか理解していないと語る。

 

彼と一緒に、日本で初めての動物検疫探知犬の訓練プロジェクトに関わった。
日本の防疫に関わる大切な仕事をした2匹の探知犬たちは、シェルターから来た元いたずら犬たちであった。

 

現在、スティーブは、絶滅危惧種を守るための犬たちやハンドラーの訓練などをオーストラリアの政府の依頼で行っている。

 

彼はいう。「ダメな犬はいないんですよ」。彼のセミナーに行くと、スティーブは参加者に鏡を配る。「鏡を見てください。悪いのは鏡に映っている人なんです」。

 

大笑い。スティーブの訓練法が素晴らしいのは、エラーレス、つまり犬にとって失敗のない訓練法をするから。わずか8週間の子犬が目の前で色々なことを覚えていくのを見て、私は驚愕した。
いずれ、このコーナーでスティーブの訓練について話をしたい。

 

馬でもそうだったのだが、動物が言葉を話さないということで、実際には専門家ではないにも関わらず専門家と自分をうたっている人たちが世間には多い。
理論は知っているものの、動物を扱った数が少ない。あるいは限定された環境だけしか知らないという人たちが多すぎるのだ。

 

もちろん、それらの人たちの中には、「訓練」という言葉にコントロールされて、実際には虐待に近い方法でトレーニングをしたりする人たちもいる。

 

したがって、私は動物を扱う人たちとお付き合いするときには、まずは動物が好きな人、動物を愛する人、常に新しいトレーニング方法やその理論を学ぶ謙虚さのある人。
何よりも数多くの動物を扱っている人たちとしか、仕事を通じてお付き合いをすることはしない。

 

「Life」のある人生

オーストラリアで約35年目。前述のように最初の頃は動物とお付き合いする時間がなかったが、今は、どっぶり動物の愛に浸っている。

 

朝は鳥の声で目覚め、オーストラリアンラブラドゥードルのサリーに嘗められて起こされ、彼女と一緒に散歩し多くの犬たちやオーナーたちと出会い、更に仕事で、馬にも犬にも出会うことが多い。

 

犬について書いた本の中に、こんな一説があった。「私は犬と出会う前に、犬好きな人たちを見て、あんなことに時間をとられて、彼らにはLifeがないわ。もっとましなことがあるでしょうに…。

 

でも、自分のところに犬が来るようになってから、ああ、Lifeがなかったのは私だった」。
今の私には、犬、そして動物のいない生活が考えられない。彼らは私の今のLifeそのものである。

 

ファニマルで、オーストラリアの動物や、それにまつわる様々なお話をさせていただき、読者と縁をつなげていくのは、本当に楽しみでならない。

 

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