まさか猫の保護団体を運営する事になるとは思っていませんでした。

 

私立の音大を中退して、27歳で勢いと勘違いで立ち上げた音楽イベント会社は、2回の転居の後JR大塚駅から徒歩3分ほどの所に落ち着きました。

しばらく、ライブハウスやイベント仕事を続けながら、自宅を近くに建てた事が保護猫の個人シェルターの始まりになろうとは…。

 

人の暮らす場所に、猫達はいます。

人がいないと、猫は暮らせません。

 

イエネコなどと呼ばれる子達は、外飼いの時代もありましたが、いまどきの飼い方は完全室内飼い奨励。それでも街には猫がいます。

 

街の特性、住人の様子、その中の猫達。

保護活動の始まりになった大塚から、順次「ねこ街めぐり」におつきあいください。

小さなマンションを売ったお金を頭金に、フルタイムの会社運営を続けながらパーキンソン病を患っていた母との同居もあって、いわゆる「スープの冷めない距離」に建築条件付きの土地を見つけました。屋上をステンレスの網で覆ってもらうなど、既に犬猫会わせて7匹の多頭飼育になっていた私は、後から考えるとまるで個人のアニマルシェルターにするためのような家を造っていました。

 

引っ越し時の同居家族は「ポメラニアン2匹」猫達はご縁の順に「近所で里親募集していたハチ割れ兄妹」「全盲の白黒猫」「ペットフード店のレジ横で脱水状態だった白とサビの2匹」

この中の全盲の猫「テプちゃん」が私の保護・譲渡活動のきっかけになりました。

 

最初の猫達のワクチンを打ちに行った動物病院で、その子はこぼれ落ちそうなほど大きな緑色の目をして床を歩いていました。

いくらも行かないうちに突き当たる。方向転換、今度は椅子にぶつかる。

「この子どうしたんですか?」

と、聞いたはずの先生の返事は

「ん?もってく?」

「…….」

一瞬の間の後、私の飼い猫のいるキャリーに、先生がその子をズボッと入れてしまいました(良い子はまねしてはいけません!先生ひどい)

 

たぶん栄養失調で視力が失われているのだと説明されました。私も私であまり何も考えず、固まったままの3匹を自宅に連れ帰り、大きな目なのにやっぱり見えていない事を確認して、共同生活が始まりました。

 

 

この子を保護してくださった方にご挨拶をと思って、動物病院でお聞きした先はJR大塚駅の北口にある有名なおにぎり屋さん「ぼんご」。

 

カウンターに並ぶ寿司屋のネタのようなたくさんのおにぎりの具、ふわっと握られた大きなおにぎり。やみくもに暴力的なまでに美味しそうな匂いが漂う店内。

 

「あらあらあらあら、まぁメメちゃんもらってくれた方ですか?!」

小柄な女将はどこから出てくるのかと思うほど大きな声で話かけてくれて、私は「おにぎり屋のピアフ」と内心でつぶやく。

 

メメちゃん…とは「目が悪いから」だそうで、ストレートなネーミングでした。都電の線路脇を大声で鳴きながらさまよっていたようです。夜中の保護。食べ物屋さんだから家には連れ帰れない。動物病院にお願いした、いつもそうしてるから。

 

….いつも?

 

まだ地域猫なんて聞いた事も無い時代で、おにぎり屋のエディット・ピアフこと女将の、猫の保護と手術(不妊去勢)活動の「いつも」の話は衝撃的でした。

 

・この場所に40年以上店を構えている

・猫達を増やさないために餌付けして捕獲&手術してリリース

・その中で子猫やハンデのある子に出会ってしまったら保護(くだんの動物病院など)

・猫雑誌に里親募集をだして、新しい家庭に送り出す

 

ネットがまだ全然使い物になっていなかった時代です。ざっと聞いただけでも多額の経費と毎日の気の遠くなるような労力がかかる事は想像出来ました。

けらけらと笑う。ボリュームは常にマックス。おにぎり屋さんの仕込みのために朝4時には遅くとも仕事を始める。夜は餌やりと手術のための捕獲。

いつ寝てるんだろうこの人?

 

そしてこの後、くりかえしくりかえし聞く事になる言葉。

 

「そう言うボランティアがあるんですね〜」

「やぁね、そんな大層なモンじゃないわよ。趣味よ、しゅ!み!」

 

なんと言う男前。私はこの方に惚れてしまって、なにかとお手伝いが出来ないかと周りをちょろちょろ。

少しして、前述の一戸建てを建てた時に「里親を待つ猫達の預かりボランティア」をお受けする事になりました。

 

その頃の大塚は、新旧交代が始まる直前の街でした。

昔ながらの猫達の扱い。伴侶動物ではなく駆除対象として見ている町会。「人と動物の共生」など言葉からして理解不能なのか、猫達の問題解決に駆けつけても罵声を浴びるか、まあやらせてやってもいいけどさ…と。

 

今時ホームセンターでよく見るゴム製の「猫を傷つけない猫よけマット」ではなく、薄い板にクギをハリネズミのように打ち付けたものが、神社の周りにぐるりと置いてあったりしました。

 

その一方で、おにぎり屋さんの女将を介して見えてくる世界と人達は、男女問わずこれが街だね!コミュニティーだね!と思えました。

柔らかく粘り強くしたたかで狡猾な猫オバちゃん達。頭は下げるけど後ろ向いたとたんに「さ、次!」と切り替える。最終的に望む環境に場を作り変えて行ってしまうパワーとそれを維持し続ける努力。

 

いつか誰か「猫オバちゃん」って映画作りませんかね?愛と感動10%、後は抱腹絶倒の。原作やらせて欲しいなぁ。

 

「シャケ」「おかか」「いくら」「たらこ」…おにぎりの具の仮名をつけられた子達に、次々と里親さん探しをし、それに倍する数が持ち込まれるようになって来た頃、一旦立て直しを図りました。

 

保護団体開始9年半、5,800頭の猫達を新しい里親さんの元に繋げる事が出来て、振り返ってみるといい事も嫌な事も、この街のおかげ。あの女将さんがきっかけ。

 

おそば屋さんにも、路地裏にも猫達はいます。いっとき、ひと世代、そこはかりそめの宿。可能なら今すぐにお家の中へ。せめて次世代の子達は最初から室内に。

この街のねこおばちゃんとそれにまつわる人たちに、育てられて今日も動いています。

 

 

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