がれきの中から保護された子猫

2011年3月11日に発生した東日本大震災を経験しました。

内陸に住んでいたので沿岸被災地ほどの被害はありませんでしたが、かつてない被災経験でした。

 

私が初めて里親になった子猫たちは、沿岸被災地のがれきの中から瀕死の状態で保護された子猫たちです。

 

 

これまでもずっと動物と一緒に暮らしてきましたし、捨てられていた子猫を保護して飼ったこともあります。

しかし、正式に里親として申し込みをしたのはこの子たちが初めてです。

 

りく 茶トラ男子 左目がよく見えませんでした。

 

そら 白猫男子  両目がほとんど見えていませんでした。

 

ほかの兄弟と一緒に保護されたのですが、感染症にかかり衰弱した状態でがれきの中から発見されたのです。

ミルクも満足に飲めず、目は感染症のために癒着してしまっていました。

兄妹の中で一番ひどい状態だったのがりくとそらです。

 

 

愛護団体で里親募集していた子猫たち

私は震災後から被災動物のボランティアを始めたのですが、それと同時に愛護団体や被災動物のために個人で活動されている方へ義援金や物資の送付を行っていました。

 

「りく」と「そら」はその団体が里親募集をしている子たちでした。

たくさんの子猫たちが里親募集されていましたが、目の不自由なこの子たちのことが気にかかって仕方ありませんでした。

 

 

しかし簡単には決められません。

面倒を見られるかなという心配と、万全な医療を受けさせてあげるだけの経済力が私にあるかなという不安もあったからです。

 

 

でも、病気の犬を介護し看取った経験もある。

旅行に行こうと思って貯めていたお金を使えばいい。

そして、できることがあるのにしなかったらきっと後悔する。

何よりも私はこの子たちの里親になりたい。

過酷な日々を生き抜いたこの子たちを私が幸せにしてあげたい。

そう思って里親を申し込みました。

 

 

うちの子になった子猫たち

2011年7月23日にりくとそらはうちの子になりました。

そして譲り受けた直後から通院が始まりました。

 

 

まずは眼の治療が必要でした。

そのほかにも感染症が完治していない、そして複数の寄生虫がいることも判明。

眼の状態以外のことは譲渡してもらってから判明したのですが、そういうこともあるかもしれないと覚悟したうえでりくとそらを迎えたので何も不満には思っていません。

 

ただ、知らない場所に来たばっかりなのにいきなり通院とたくさんの投薬を受けることになった2匹は大暴れ。

本気でひっかくので厚手のビニール手袋を付けて目薬を差したり、薬を飲ませたりしました。

現在では目薬も薬を飲ませることもかなり上達した私ですが、当時は下手だったことも2匹が大暴れした原因かもしれません。

 

猫風邪や駆虫の投薬が終わっても、2匹は目が悪いのでずっと目薬は続ける必要がありました。でも今ではすっかり慣れて「ニャーン」と文句は言いつつ、おとなしくさせてくれるようになりました。

 

そらの目の状態は特に悪く、しゅん膜がすっかり厚くなって飛び出している状態でしたが、まだ視力が回復する可能性があったので数回の手術を受けることに。

 

 

そらは目がほとんど見えないので室内でいろいろな場所にぶつかってしまっていたのですが、慣れると兄弟のりくと一緒に飛び回って遊ぶようになりました。

 

トイレも完璧。

ご飯ももちろん、自分で食べられる。

キャットタワーでも遊べる。

 

 

りくもそらも室内で暮らすうえでは、目の障害は全く支障になりませんでした。

2匹はとても仲が良く、いつも2匹で遊んだり猫団子したり。

いつも心を癒してくれる存在になりました。

 

この子たちは目の障害によって不幸だと感じたり、それを悲しんだり恨んだりすることは全くないんだ、

今を楽しく幸せに暮らすことが何より大事なのだということ身をもって教えてくれました。

その教えは現在でも私の保護活動に活きています。

 

 

里親になったことがきっかけで預かりボランティアに

その後も数度の目の手術などを受けましたが、2匹は順調に成長。

震災から約1年後に私は遺棄された子猫の預かりボランティアを始めました。

 

そもそも私は、元は犬派でした。

猫の預かりボランティアをしようと思ったのは、りくとそらと生活し始めたことが理由の一つです。

私の住む地域では犬も猫も殺処分は多いのですが特に猫が多く、たくさんの子猫が捨てられる。

こんなにかわいい子たちなのに。

少しでもりくとそらのように救われる命を増やしたい、私にできることをしたいという想いからです。

 

 

初めての預かりボラは子猫3兄弟。

まだ乳飲み子です。

このとき、そらがとても子猫にやさしくしてくれました。

そらは男子なのですが、子猫たちをやさしくグルーミングしたり、抱っこしてあげたり。

その様子に当時の私はいちいち感動したことを覚えています。

 

 

穏やかに楽しく暮らしていたりくとそらですが、突然悲劇が訪れます。

そらは厚くなってしまっていたしゅん膜が目から飛び出してしまっている状態になっていたので、切除手術を受けなければなりませんでした。

飛び出しているので目がうまく閉じられないのです。

 

 

突然のお別れ

一度で済むはずだった手術。

しかしその手術での縫合糸の始末の失敗により、1か月後にもう一度手術をしなければならないことになってしまいました。

動物が手術を受ける場合、全身麻酔をしなければなりませんがこれが体に大変な負担になります。

通常は数カ月の期間を置いて手術を行わなければならなかったのですが、糸が眼球を傷つけてしまっている状態でしたので手術を行うことになったのです。

 

そらは手術を受けて1日入院し、次の日に退院。

しかし退院した日に急変し、再び入院するも翌日に亡くなってしまったのです。

手術を受けて3日目のことでした。

 

数日前まで元気だったのになぜ突然亡くなったのか。

信じられませんでした。

当時、担当医はなぜ死ぬことになってしまったのか、何も説明はしてくれませんでした。

私も知識がなかったために、死ななければならなかった理由が全く分からず怒りと悲しみでどうにかなってしまいそうでした。

 

推測の域を出ませんが、今となってはそらの死の原因が分かります。

症状や状況からFIP(猫伝染性腹膜炎)を発症したものと考えています。

体力や免疫力が落ちているときに手術を受けるとFIPを発症する危険が高まるのです。

私の経験と、現在お世話になっている獣医師の見解です。

 

そらの死は突然で受け入れがたいものであり、長い間そらの死の瞬間しか思い出せませんでした。

そらの死から5年が経過した今、そらの猫生は短かったけれど苦しみや悲しみだけではなかったと思えるようになりました。

それでも、この記事を書いている今でもそらの死を思い出すと涙が出てしまいます。

 

 

 

眼球が破裂

ひとり残されたりく。

りくも左目の角膜が傷ついたことから眼球の表面に幕ができてしまい、その膜に血管が作られてしまい見えない状態になってしまっていました。

そこからさらに緑内障を発症。

 

 

治療を続けるも、ある日ついに緑内障を患っていた眼球が破裂してしまうのです。

夜中に緊急入院し翌日眼球を摘出することに。

 

 

片目にはなってしまいましたが、ほかの子と遊んだり、子猫をかわいがってあげたりと穏やかに暮らしていたりく。

 

りくは穏やかな子で誰とも争わず、べたべたする性格ではないもののほかの子にも優しい子でした。

寝るときは私といつも一緒。

一緒に布団に入り、私の腕枕で寝たのは後にも先にもこの子だけです。

そらを失ってしまった私にとって、とてもとても大切な存在でした。

 

 

 

りくとの別れ

私にとっては息子とも思えるりくですが、2014年4月30日に亡くなりました。

FIPでした。

FIPは発症すると死亡率がかなり高い病気。

しかし回復を願って治療を続けていましたが約2か月後に永眠しました。

 

りくのFIPが判明したことで、そらもFIPだったのだろうと診てもらっていた獣医に言われました。

FIPは伝染性腹膜炎という名前ですが伝染はしません。

なぜ発症するかも解明されていません。

しかし、兄弟は同じ体質であることも多いのでその可能性が高いと。

 

 

がれきの中から保護された子猫たち。

幸せに長生きしてほしかった。

たくさん後悔し、たくさん涙を流しました。

これを書いている今も。

 

りくとそらのことは、まだ涙なしには思い出せない。

でもつらい思い出ばかりではなく、今はいい思い出もたくさん思い出せます。

 

 

りくとそらの残したもの

りくはたった3歳で亡くなり、私は十分なことをしてあげたとは言えないかもしれません。

でも、これまでお世話し看取った子の経験がそらとりくに生かされたはずだし、そらとりくが教えてくれたたくさんのことは、今お世話している子たちに役立っているはず。

 

たくさんの後悔は今でも尽きません。

でもあの子たちのために私がしてあげられたこともある、そう思っています。

この子たちを引き取ったこと、一緒に暮らしたこと、一緒に病気と戦ったこと、一緒に遊んだこと、すべてが私の糧であり宝物です。

 

 

私は現在、保護活動をしています。

たびたび里親希望者の方から「この子は健康ですか?病気をしませんか?」と聞かれます。

 

病気にならない子はいません。

生きているのですから、必ず年を取るし病気にもなる可能性はあります。

人間だって多くの場合は年老いて病気になって死ぬのです。

動物も同じ。

 

そのことを病気になっていないうちから不安になったり心配したりせずに、できることをしたら後は楽しく暮らしてほしいと思います。

私がそらとりくから学んだ一番大きなことです。

 

 

誰しも死ぬし、どんな動物も死ぬ。

だからこそ、死を恐れ生きるのではなく、今生きていることを見つめて生きることが大切なのではないかと思います。

特に動物にとっては。

私はそう思って毎日を暮らしています。

 

私の愛するりくとそらの存在は、会えなくなっても、今も私の支えです。

 

 

(Visited 824 times, 1 visits today)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう