皆様、こんにちは。猫のしもべリーダー兼尼僧の、尾田嵩月です。

地味に暑い秋をいかがお過ごしでしょうか?近年もっぱら秋が短くなりましたね。

我が主の、3兄弟猫様達も日々の寒暖差に翻弄されぎみですの。(笑)

 

さて、今回は誠に恐縮ですが、何故私が猫のしもべリーダーと自称するまでになったか、また、きっかけは何だったのかなどを綴って参ろうかと・・・

 

え??別に興味ないって?・・・まあ、聞け。いや。むしろ聞いて下さい。何故かって?

だって!!!編集さんからのリクエストなんですもの・・・いつも凄くお世話になっている編集担当の皆様の要望に応えないなんて!!

そんな事は出来ません!!

 

だから、聞いて下さい。(笑)

聞かなくても勝手に始めちゃうのですがね(笑)

と、いう事で猫のしもべリーダー誕生までの、私の足跡を振り返っちゃいます!!(笑)

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私が猫好きになったきっかけ

 

私が生まれたのは昭和後半。それはそれは、見目麗しく可愛らしい女の子・・・嘘です。(笑)

至って普通の女の子として生を受けました。一般の家庭で現在尼僧として奮闘しておりますが、実家はお寺ではなく、普通の家庭でした。ただ、私が物心ついた時には猫がいました。

 

そう。生まれてこの方、猫が身近にいなかった期間の方が短いくらいでして、ずっと家族の一員として、猫が家庭の中にゴロゴロとおりました。

おまけに、我が家は皆猫好きで、母姉妹や祖母、曾祖母までも大の猫好きで私が生まれる遥か昔から猫が傍にいる生活だったようです。

 

現在、叔母の自宅には17匹の猫がいるほどです。曾祖母も、祖母も他界しましたが、遺影を選ぶときに、家族との写真より猫との写真が多く、母たちは困ったというエピソードもあります。

ですから、きっかけどころの騒ぎではなく、猫好き英才教育状態で育ったのです。この環境で、猫を嫌いになるなんて逆に難しいと・・・。

こたつに入れば猫の背や腹にヒットする。これが通例の環境でした。

 

幼少期にいた猫で、一番印象に残っているのは、タマとミーちゃん親子ですね。
ミーちゃんがお母さんで、タマは息子。出産は押し入れでしました。

初めて出産に立ち会ったのがこの親子。私が5歳くらいの出来事だったと記憶しています。あまりにもミーちゃんが陣痛で苦しそうで、死んでしまうのではないかと心配で心配で泣いてしまったのですが、泣く泣く最後まで見届けた事を今でもはっきり思い出します。

 

ただ、産まれた瞬間、母猫は痛さや辛さをさしおいて、我が子のケアをするのです。

羊膜を食い破り、へその緒をとり、舐めて刺激を与え、お乳をやりながら温め、次の出産。本当に凄いと感じましたし、命ってこうして産みだされ育まれるのだなというのを、体感した出来事だったように思います。

今思えばですよ?

当時はただただ、心配から感動にシフトした泣きっ面で、終始泣いていました。(笑)

 

でもね、この出来事が「医療に携わりたい」という気持ちが私の中に私の中に生まれた発心点だと思います。

小学校入学時点で、看護婦さんになりたいと思っていましたから。といっても、結局は他の医療職についたのですけどね。

結果私の夢も猫が与えてくれたのですね。

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しかし!今は尼僧です。なんたる華麗な転身(笑)

自分でも「私、激しいな・・・」と思いますもん(笑)

これはこれで、仏さまに仕えよう、お大師様について行こうと発心したんですけどね。

 

トータルで現在までを見てみると、医療の現場で人生の中継地点での苦しみや痛みに向かい合う手助けや生活を取り戻す手伝いをし、今は旅立ちのお手伝いや、心に向かい合うお手伝いをしている。

医療に携わったのは、人生の集大成に向かいあうのにとても役立ってくれています。

きっと、猫がもたらしてくれた夢があっての今だと思います。

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仏教と猫

 

昔から、仏教と猫には密接な関係があります。

それは猫の特性からだと私は推察しています。

 

仏教といえば、経典です。

この経典には先人の大切な悟りへと導く教えや、極意が記されており、いわば現代でいう教科書なのですね。しかも、この経典の始まりはお釈迦様が話す事をメモしたのが始まり。

 

そうです。ノートだったのですよ。

弟子がとったノートが書き写され、教科書となり、それが広まり、様々な研究、考察がされ、その考え方毎に宗派が生まれているというとわかりやすいでしょうか。当時はコピー機なんてありません。

版画印刷だって日本では江戸時代あたり。それまでは手書きしかなかった。だから貴重です。

 

しかし・・・

この紙をネズミが齧ってしまうのですね。

ですから、僧侶にとってネズミは大敵だったのです。蔵書も経典も、軸でさえも齧られ被害は甚大。これを救ったのは猫の存在なのです。

 

確かに他にもネズミを狩る生き物はいます。

キツネやタヌキ。狼だってそうですが病気を持っていたり、人馴れしなかったり、養うには負担が大きく、ネズミが住まう狭い所に行き来出来ないなどの難点が沢山ありました。

 

ところが、猫はどうでしょう?

狭い所にも入れる柔軟さ、人馴れ度は抜群。おまけにネズミは好物で他の物を傷つけずに行き来できる身体能力。

さらには、養うにしても負担は小さく、粗相はしつけずともしないで、綺麗好きときた。

 

経典などをネズミから守るのに、これほど適した動物はいなかったのだと思います。

気ままでも、ネズミとみれば狩ってくれますし。中国に渡る遣唐使、遣隋使。この時の船にも乗せられた位です。今ある仏教の教えは、猫がいたから守られたといっても大袈裟ではないと、私は思っています。仏教を守ってくれたのです。

遥か昔から、猫は仏教の存続に密接なのです。

 

 

因みにですね、高野山は一時猫の入山を禁じていた時代があります。

理由は、猫の可愛さが修行の妨げになる。ということから・・・可愛さに囚われて瞑想に入れないとの事だったようです。(笑)

確かにこの可愛さでは集中できますまい(笑)わかります(笑)

 

でも、今は猫も入山OKですよ。こんな話もある位です。猫の可愛さと魅力には悟りを得る僧侶ですら抗えないといったところでしょうか

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猫の魅力と、しもべリーダーとなった訳

 

猫の魅力。そんなことを言い出したら夜が明けますよ?(笑)

ありすぎです(笑)だって、尻からひねり出るウン○でさえも愛おしい位ですよ?(笑)

もきゅっとなったお口のフォルムから、くにっとなった手。髭のところのもぷっとした感じ・・・ほら。止まらない(笑)

 

でもね、なんですかねえ。彼らはツンデレですし、気ままですがちゃんと思考もあり、こちらの事を見ています。

だからか、こちらが泣いていたり、しみじみ愚痴ったりしていると、必ず傍にずっといてくれるのですね。

それは、猫それぞれじゃないかと思われるかもしれませんが、これまで飼ってきた子全てそうでした。

 

こちらの窮地には必ず傍にしっかりいるのです。しかも話も聞く。泣けば泣き止むまでいる。

しれっと、普段はにおわさないけれど、すごく愛情深いです。

なおかつここぞというポイント押さえてくる。まるで普段わがままな男子がいざって時にはぐっと支えてくれる。そんな感じ。

日ごろはこの野郎!と思っていてもそれで帳消しになるような、癖になるやつですよね。(笑)

 

だからか、魅了して止まない。

フォルムだって、行動だって、性分だって、猫ならそれでよし!!というハードルの低さです。(笑)

きっと猫好きさんは共感してくれるのではないかと・・・この猫変態っぷりを(笑)

 

 

最後に、しもべリーダーになった訳ですが・・・これ言っちゃっていいのかなあ?(笑)

実は、Fanimal様にお世話になるようになって、何を隠そう即興で決めました。(笑)

本当に思いつき(笑)しかし名乗ってみて、変にしっくりきてしまって定着。

 

ならば私の記事をご覧下さる皆様にも、猫のしもべ尼僧の人だと覚えてもらおうと、くどい挨拶を冒頭にさせて頂いています。

と、ここまでつらつらと、私事を書かせて頂きました。とにもかくにも、尾田嵩月は、猫狂いということはおわかり頂けたと思います。(笑)ですがちゃんと、僧侶としての活動しておりますので・・・念のため(笑)

 

今の将来の夢は、猫と共に暮らせる自坊としたいこと。

そして保護猫などのボランティア活動にも携わりながら、猫に囲まれて僧侶を全うしたい。仏さまと猫と私のコラボレーションで生涯を送りたいな・・・(笑)と、思っております。

読者の皆様、Fanimal編集局の皆様、多少私の謎も解けましたでしょうか?(笑)

 

これからも楽しい記事を書いていこうと思います。

今後もどうぞ読者の皆様、編集局の皆様、猫のしもべリーダー尼僧を生暖かく見守っていただけましたら幸いです。

では、このあたりで・・・ごきげんよう

 

至心合掌        尾田 嵩月

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