犬がくれたもの。震災で気づかされたこと。

どうも。Fanimal編集部の榎本です。
株式会社FanimalのWeb事業部のメディア担当として取材し記事を書いたり、記事を書いてくれるライターさんの校正や管理をしたりしてます。

恥ずかしながら今回の記事では少しだけ自分のことを話そうと思います。
その物語には3月11日を発端とする震災の出来事も関わっています。
あの日いた場所、とった行動により多くの物語が始まり或いは終わってしまいましたが、その中の小さな一つです。僕がペット事業に関わることにした理由でもあります。

僕は20代そこそこから保険の仕事を10年ほどしていました。
始めは食べるために、そのうちやりがいと意義のある仕事として続いていきました。
震災の時は横浜にあるバネメーカーの営業部で働いてました。

うちには17歳の頃からずっと飼っているゴールデンレトリバーがいました。
名前はグリスといいます。体重が50㎏もあるような大きな大きな男の子です。
体重がどんどん増えて50㎏になったときは心配になり病院に行きましたが獣医師さんからは「骨格が大きいのでこれが普通です」と言われました。

東日本大震災 グリス1 | Fanimal(ファニマル)
伝わるかな?この大きさ。

ゴールデンレトリバーのグリスとの出会い

母がある日突然貰ってきた子で、近所のおばあちゃんが飼えなくなってしまったのを譲り受けてきたのです。グリスはうちに来たとき生後8か月。その日から毎日朝と夜40分ずつ犬の散歩を僕がすることになりました。雨の日も風の日も雪の日も毎日です。
友達と遊びにいくときは必ず一度帰って犬の散歩をしてから出かけるのが半ば義務でした。バイトや部活などで帰りが遅くなるときは「グリスごめん」と心の中で何度もつぶやきました。正直に言えば若かった僕にとっては煩わしくも思えたこともあります。いなければ自由なのにな…。好きなときに好きなことができるのにな…。
家にずっといるグリスの方が寂しくて不自由なのに身勝手ですね。

東日本大震災 グリス2 | Fanimal(ファニマル)
高校生の頃の榎本です。グリス、顔おおきいでしょう(笑)

東日本大震災後の生活

3月11日からはじまる東日本大震災からの日々。僕はグリスから数えきれないほどの恩を貰いました。その恩はグリスがうちにやってきた日からもらい続けているものですが、一番大きかったのはやはり震災の時かなと感じます。きっとグリスはそうは思っていないでしょう。でも、僕としたら大きなことです。

震災の日、僕の帰りを夜中まで待っていてくれたこと。
職場のスタッフを社用車で送り届けてクタクタでした。停電している地域もあり、震災のニュースは絶え間なく流れていて世界が終わるように思えました。
家につき、無事を喜ぶグリスの顔を見て玄関先で座り尻尾を振るその身体に抱きつくと重いものがすっと消えていきました。

震災後の日々は被災地からほど遠い東京にいても
交通の麻痺、経済活動の停滞、原発事故の不安、計画停電、続く余震…。
被災地の人から比べる余地もありませんが、不安の種はいくらでもありました。
みんながみんなストレスを溜め込んでいて、家族や同僚にぶつける人、社会にぶつける人と何も言わずに俯く人様々でした。

辛くても、もっと辛い人がいて。
悲しくても、もっと悲しい人がいて。
愚痴も弱音も吐けなかった。大丈夫なふりをして生活をするしかなかった。

そんな日々にグリスがずっと変わらずに傍にいてくれることが本当に心を楽にしてくれました。夜中2人だけ(1人と1頭?)でいるときに話す愚痴や弱音も黙って聞いてくれます。
暖かい毛むくじゃらの身体をぴとーっと寄せて、時には顔をこちらに向けてくぅーんと鼻を鳴らします。「ほんとにちゃんと聞いてる?」そんなことを言いながら同じベッドの上で寄り添って寝ます。

東日本大震災 グリス3 | Fanimal(ファニマル)
ちょっとスヌーピーっぽい顔立ちでした。

 

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MAMORIO
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